(2017年4月の記事です)
世界遺産の一つ、白川郷へ行ってまいりました。
これらの家屋は、
今からおよそ200年前の徳川末期に、飛騨高山の棟梁大工と地方の棟梁大工と、
正副棟梁大工が協和して三年間で作り上げたものです。
ただ古いだけの集落かと思いきや、
ドイツの高名な建築家、ブルーノタウト氏に
「極めて論理的、合理的構造で日本では全く例外に属する」
と言わしめたから驚きです。
特徴は、釘、カスガイ等を一切使わず、
楔の他は「ネソ(マンサクの若木)」、「ワラナワ」で締めくくった特殊な構造です。
最大なものは5階建てになっています。
当時の基盤産業は養蚕業であったため、屋根裏は2~4層に分け、
蚕の飼育場として有効活用されていました。
大広間のいろりの火は、「火種」を残すため、一日中燃やされ、
上の床は煙やススが屋根裏に上がるようにスノコ状になっています。
生活と毎日のいぶしにより住居の耐久性が高まりました。
いろりの上につってある板は火天(ひあま)といい、立ち上がる火の粉を消し止め、
熱と煙を分散させました。
200年以上も寒暖に耐え、色あせることのない建築物です。
それに引き換え、今の日本の建築のスクラップ&ビルドの状況は
本当に残念でなりませんね。
コメント