会津若松の街並み
会津若松は、川越を小規模にしたような町でした。休日でしたが、全く混んでおらずインバウンドを見かけることもありませんでした。









洒落た喫茶店やお土産屋やスイーツ店が並んでします。
七日町駅の中をのぞいてみると、喫茶室とお土産屋があります。もちろん駅なので列車の運行もあるのですが、数時間に1本というローカル線です。
会津鶴ケ城
会津若松にある、通称鶴ヶ城(つるがじょう)とは、福島県会津若松市にある城です。正式名称は「若松城」ですが、その美しい城郭の姿から「鶴ヶ城」と呼ばれています。
幕末には最後まで武士の誇りを貫き通した会津藩のシンボル 至徳元年(1384)に葦名直盛が築いた東黒川館を起源とし、文禄2年(1593)に蒲生氏郷が東日本で初の本格的な天守閣を建てて「鶴ヶ城」と命名しました。戊辰戦争では激戦地となったそうです。









戊辰戦争後、政府の命令により天守閣が取り壊され、昭和40年(1965年)に再建されました。
さざえ堂
さざえ堂とは、三そう堂ともいい秩父三十四所、東国三十三所、西国三十三所の観音札所の本尊を写して一堂に集めた巡礼神納道であり、通常三階造りの堂内をぐるぐる回って上がってゆくところからさざえ堂と称されました。江戸本所の羅漢寺に1780年(安永9)に建てられたのが最初で北斎や広重の錦絵にも名所として描かれました。関東にはこれに模したものが数か所見られ、当時観音信仰が盛んであったことが分かります。
ただし、会津飯盛山旧正宗寺のさざえ堂は、特殊な例で1796年(寛政8)僧郁堂が考案建造、六角塔状の建物のの中心に西国三十三観音像を二つの螺旋状スロープに沿って配置しました。つまり正面から登りスロープを参拝しながら頂上に至り、別の下りスロープに移って続いて巡拝しながら裏口に下りるようになっているもので、このような建築は世界にも例を見ない特殊なものであると言われています。




