URまちとくらしのミュージアム

レトロ建築物

2023年赤羽にオープンした「URまちとくらいのミュージアム」はヌーヴェル赤羽台の中にあります。
歴史的に価値の高い集合住宅4地区計6戸の復元住戸をはじめ、映像や模型も充実していて、都市や集合住宅で培われた歴史やまちづくりの変遷が学べます。

予約制になっていて、90分超ガイドさんが分かりやすく説明してくれます。

まず初めに通されるのが「URシアター」前、左右と床面に映像が映し出されて大迫力でした。
(撮影禁止)

復元住戸1:同潤会代官山アパートメント
1~5がファミリータイプで、6~7が単身向けタイプです。
ファミリータイプは水回りがついていますが、単身向けタイプはついていません。
電気代は照明の個数によって決まっているので、数を減らすように工夫がされています。
玄関の照明とトイレは共有していて、昼間は照明なしでトイレを使い、夜は戸を開けて玄関の照明を使っていたそうです。
5.防災意識の観点から玄関前には、梯子が取り付けられていました。

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8.畳はコルクにござを張ったものを使っていました。通常の畳より湿気に強いのですが、コストが高いためそれ以降は使われませんでした。
9.単身者用には、水回りがないため食堂で食事をとることになっていました。食堂のカウンターと椅子。

復元住戸2:蓮根団地

今までは畳のちゃぶ台で食事をとり、寝る時はちゃぶ台を片付ける、という生活でしたがこのころから食寝分離の考え方が出てきました。台所のテーブルは備え付けでした。(そうしないとちゃぶ台文化をやめないから)このころから水洗トイレになりましたが、まだ和式でした。
家賃は月額4500円、今ですと8万円くらいだそうです。

復元住戸3:晴海高層アパート

初めての高層ということでエレベータが設置されました。
住民がエレベータに不慣れなため、エレベーターガールも居たそうです。
エレベーターは1階、3階、6階、9階しか止まらないので、動線は困難を極めました。
たとえば、703号の人が真上の803号に行く場合、まず階段で6階へ降りて共用廊下を通ってエレベーターに乗り9階で下り、共用廊下を通って階段で8階に下りるのです。

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2.スチールのサッシですが、内側だけ木の化粧材を貼っている。吊り構造になっています。(宮益坂アパート)
3.エレベーター
4.晴海アパートはメガユニット構造になっていて、左右2戸、上下3戸の計6戸が1ユニット。
左右の壁を取り除いて広くしたり、上下をつなげて吹き抜けにしたりフレキシブルな構造でしたが、当時は住戸が不足していたので、この構想が採用されることはありませんでした。
8.9.設計者、前川國男氏のこだわりにより部屋を広く見せるため、畳の縁をなるべく無くすため、長辺は2m。欄間はガラスでできていました。
10.ステンレスの天端の台所。
11.初めての水洗洋式トイレ。
12.13.共用廊下は2mと広く、子どもの遊び場や井戸端会議の場所になっていました。(後に騒音問題に)
共用廊下に電話があり、交換手に部屋から呼び出されてここで電話するシステムでした。(各部屋に電話はなかった)

14~16.は共用廊下が無い階のプランなので、その分広かったのです。なるべく広く部屋を使うため、配管はむき出しでした。
黒い太い配管はトイレの排水なので、食事中に音が気になることがあったそうです。スキップフロアシステムが2階の人が不便だったため、2階の人専用の階段が後から設けられたそうです。(左の写真)
家賃:共用廊下がある階 月1万(現在で18万位)
   共用廊下が無い階 月1.2万(現在で22万位)
高めだったので、裕福な人が住んでいたそうです。

復元住戸4:多摩平団地テラスハウス

1階と2階の上下に住まい庭付きのタウンハウス型です。

外壁は当時もパステルイエロー、玄関扉はグリーンでポップな印象です。玄関前の宅配ボックスみたいなのは、ガスメーターが入っていたそうです。

団地で使われたツールの数々

1.インターホンの変遷。音がそれぞれ違います。
2.建具がオシャレです。(現在も使えば良いのに・・・・)
3.玄関の右側にある曲線の金物は、旗を支える部材です。当時は玄関前に国旗など旗を掲げることがあったのだとか。

URまちとくらしのミュージアムの外には当時の団地がそのまま保存されています。(今のところ中には入れない)
やはりスター型の団地は興味がありますね。
ベンチは流政之氏のデザイン。

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